音楽を違った角度から見てみる 第四回 和音と旋律の矛盾
http://d.hatena.ne.jp/neuromancer_sho/20090917/1253191533 の続き。
純正律は転調に弱いと言うが、転調が無ければ完璧なのだろうか?
答え → 全然完璧じゃない。それどころか、聴く相手によって変えなければならない。
前提
キーがC + 平行調*1のみで成り立つ曲を考える。曲の途中でチューニングを変えられないものとする。
ド = (ラを440Hzとした場合に平均律で考えたド) = 523.2511Hz*2 とした場合の純正律の各音。周波数が一致する音は同じ色にした。*3
純正律は比率で決まる音律なので次のように計算した
- メジャーコードは 4 : 5 : 6 の比率
- マイナーコードは 4 : 24/5 : 6 の比率
- G7は 4 : 5 : 6 : 6×24/5 の比率
- Dmのレは G(ソシレ)のレ÷2 にする ※ *4
問題
ここからが問題点(赤く塗った部分)
- Dm(レファラ)の時のファ 706.389 はF(ファラド)の時のファ 697.6682 と一致しない。
- Dm(レファラ)の時のラ 882.9863 はF(ファラド)の時のラ 872.0852 と一致しない。
- G7(ソシレファ)の時のファ 1412.778 はF(ファラド)の時のファ 697.6682 の2倍になる筈なのになっていない。
今なっているメロディー
では、DmとG7を使わなければ純正律だけの音楽が作れるのだろうか?
和音の構成音だけで曲を作るのならば可能だ。
しかし、音楽は伴奏+メロディーがなければつまらない。その時、メロディーのなかにレ・ファ・ラがでてきた場合、
- G(ソシレ)のレを基準にしたレ・ファ・ラを使うのか?
- それとも、F(ファラド)のファを基準にしたレ・ファ・ラを使うのか?
コードF メロディー:ファ〜ラレ〜 コードG メロディー:ファ〜ラレ〜 コードAm メロディー:ド〜
という曲があった場合、コードFの時には潜在的にDm7が鳴っている。感じ方によっては鳴っていないかもしれない。コードGの時には潜在的にG7が鳴っている。でも感じ方によっては鳴っていない。
メロディーも和音を構成する一部になるのだ。感じていればの話だが。
歌のうまい人は一行目のファ〜ラレ〜と二行目のファ〜ラレ〜を無意識に変えて*5歌っている可能性がある。
さっきなっていた音
コードF メロディー:ラ〜シ〜ド〜 コードG メロディー:レ〜〜〜ド〜 コードC メロディー:ド〜
この場合、同時に鳴っている音だけを見ると何も問題が無い様に見える。
しかし、メジャーコードなのに二行目で少し哀愁を感じるのはなぜだろうか?・・・・前の行で鳴っていた「ラ」が記憶に残っている場合、頭の中で「レファラ」を感じているせいじゃないだろうか?
だとすればチューニングをDm用にする必要がある。歌のうまい人は無意識にやっている*6可能性がある。
心
「あの人、音程違うよね」「そうだよね」という時、感じている部分が同じでなければ会話は成り立っていない。お互い違う部分を差して頷いている事になる。
そんな時、「君、どの部分を指してそう言ったの?」なんて尋ねても、簡単に答えられるものではない。「あの部分が感動したよね」「うん」と言ったところで、同じ感動を味わったかどうかは分からない。